正しく恐れるためにはエビデンスが必要

 





こんにちは。

山崎です。

 

だんだんと新型コロナウイルスの脅威が身近になってきてますね。
自分は、一応医療従事者なので、一般の方より若干危機感を持ってるのかもしれませんが…
脅威を感じるひとと、感じないひとの二極化してるのかな?
そんな感じもしています。

 

去年の春先の緊急事態宣言のときは、国民の皆さん分からないことに対して恐怖を覚えたのか…
ものすごく注意をして過ごされていたんだと思います。
ですが、もうこの問題が勃発してから1年がたち、当時より情報が集まってきたからか、恐怖を抱く人の割合が減ってきているように思います。

 

ひとってやっぱり、未知のものに対して恐怖を抱く生き物なんですね。
これって人類がここまで繁栄してきた要因ではあると思います。
未知のものに対して恐怖を抱くことで、危機回避能力が上がりますから。
だから自分が思うに、若干の恐怖感ってものはあってもいいんじゃないかと思います。
あくまでも若干ですけどね。

 

この若干ってのがミソなんです。
まったく危機感を持たなかったら、まったく注意を払わないんです。
まったく注意を払わなかったら、どこかで地雷を踏んじゃうんですよ。
ちょいちょい地雷踏んでたら・・・繁栄はありません。

 

他方、ものすごく恐怖感を持ってしまったら、、、
ビビってしまって、萎縮しちゃうんです。
そうすると、直接的な地雷を踏むことはなくなるんですけど、間接的な地雷を踏みまくることになるんです。
萎縮しちゃったら社会が停滞してしまって、それこそ真綿で首を絞められる展開になっちゃうんです。

 

 

だから、何事もバランスなんですね。
上手くバランスをとる必要があるんです。
恐怖感を0にしてもだめだし、100にしてもだめなんです。
じゃどうしたらいいのって話になるんだけど・・・

 

やっぱり情報を集める、情報に触れるってことに尽きるんだと思います。
未知を既知にする作業を行うことで、過剰な恐怖感が減るんだと思います。
未知のことから、ただ目を逸らすのでは恐怖感は拭えません。
ですから、知るという作業を行う必要があるんです。

 

そして、その知り得た情報には賞味期限が存在するものもあります。
情報というものは絶えずアップデートされていきます。
昨日得たものが、今日は通用しなくなるってことも十二分にあります。
それを思ったら、情報というものは絶えず更新する必要があるんです。

 

一時期言われてましたよね、「正しく恐れる」ことを。
まさしくそれが、自分の身を助けることに繋がってくるんです。
正しく恐れるためには情報を得続ける必要があるんです。
最新のエビデンスを手に入れる努力は惜しまない方がいいと思います。

 

追伸:
年が明けてから、体調が思わしくありません。
ざっくり言ったら、倦怠感が半端ないんですよね。
もっと言ったら去年の終わりごろから調子が悪かったんですけど…
今のところ特別異常はないので・・・

 

原因がわかんない時って、たいてい自律神経に問題が・・・
なんて言われるんですが、自分もたぶんそうなのではないかと思っています。
ということは、ココロのエナジー注入待ちですね。

 

みなさんも、自覚はないかもしれませんがストレスは結構溜まってると思います。
ストレス解消の手段ってひとそれぞれだと思いますが、上手く息抜きをしてください。
世の中が明るくなるまで、まだまだ時間がかかると思います。
それまで持たせないといけませんから、出来るだけ無理しないようにお願いします。

 

そうはいっても難しい話なんですけど。。。

 

 

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