花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花:アントニオ猪木が説く、人生の真実と意味

プロレス

 





こんにちは

 

山崎篤史です。

 

私は幼い時からプロレスが大好きで、いろんなサブスクに入ったり、

YouTubeを漁ってみたりしてるんですけど…

昭和の名レスラー「アントニオ猪木」はご存じでしょうか?

若いひとには、ピンとこないかもしれませんが、いろんな名言を残しているんです。

今日はその中の一つ、

「花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花」

について考えてみようと思います。

 

 

アントニオ猪木がつぶやいた

「花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花」という言葉は、

生きていること自体が素晴らしいことであり、花が咲くかどうかよりも、

生きること自体が花であるという重要なメッセージを伝えています。

生命そのものが尊いという考え方をアントニオ猪木は訴えているんです。

 

 

この言葉は、自己肯定感と自己価値に関連しています。

花が咲かないことや成功しないことで自分自身を評価しないで、

単純に生きること自体を価値あるものと捉えることの重要性を彼は説いています。

成功や成果だけが人生の価値を決定づけるものではないと言いたいのです。

 

 

アントニオ猪木のこの言葉は、人生に対する肯定的な視点と、成功や成果だけでなく、

生命そのものの尊さを称えるメッセージを我々に伝えているのです。

 

 

人間が生まれ、成長し、存在することは奇跡的です。

科学的に見れば、生命の起源や進化は複雑で不確かなプロセスです。

そのため、生きていること自体が驚異的であり、尊いものと言えます。

我々は、それこそ宝くじを遥かに凌駕する確率を勝ち抜いて、この世に生を受けたのです。

 

 

我々は生まれてきたこと自体が奇跡の賜物なのですから、その奇跡をしっかりと認識し、

生きていかなければいけないのです。

生きることは、私たちにとって神が与えた最も貴重な贈り物であり、

その贈り物を受け取った以上、それを最大限に活用し、感謝の気持ちを持って生きることが大切です。

 

 

また、生きることは、限られた時間の中で現実を体験することです。

私たちの時間は有限であり、その限られた時間内で、喜び、成長、愛、冒険、学び、経験を積み重ねます。

このため、時間は非常に尊いものであり、その価値を理解し感謝することが大切です。

 

 

生きるということを神からの贈り物として捉え、その贈り物に感謝の気持ちを抱くことは、

生きる意義を見つける第一歩です。

感謝の心は、私たちが困難に立ち向かい、幸福を追求する原動力となります。

 

 

この神からの贈り物、つまり生命を最大限に活用することは、可能性を追求し、

夢を追い求め、スキルを磨き、成長し続けることを指します。

私たちはこの贈り物を活かし、自己実現を追求する責任があるとも言えます。

贈り物を活かすことは、自己満足だけでなく、他者にも良い影響をもたらします。

 

 

この言葉に込められたアントニオ猪木の考え、哲学は、生きることを深く考え、

生きることの意味を見つけることに役立つのではないかと思います。

「花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花」

という言葉は、いろいろな解釈ができると考えます。

 

 

どんな苦境に立たされようが、失敗しようが、我々が存在していること自体が奇跡であり、

我々が存在できていること自体が感謝なんです。

成功を収めることだけが、人の価値を決めるものではないし、存在すること自体が価値があるんです。

明石家さんまさんが言っている「生きてるだけで丸儲け」も同じ意味ですね。

 

 

生きてること自体が、奇跡であり丸儲けなんだから、失敗なんかに足を引っ張られないで、

全力でチャレンジを続けるべきなんです。

他人に笑われようが、そんなこと全く関係ありません。

神からいただいた奇跡なんだから、その奇跡に感謝して行動しないといけないんです。

他人の中傷などに惑わされている暇なんかないんです。

 

 

アントニオ猪木も言ってるんです。

花が咲こうと咲くまいと、成功しようが失敗しようが、そんなものは大したことではない。

チャレンジすること自体が尊いものであり、我々が行わなければいけないものなんだって。。。

 

 

追伸

アントニオ猪木のこと知ってる人はわかると思うけど、彼ほどスキャンダラスで、

破天荒なひとは存在しなかったと思うし、またこれからも現れないんじゃないかと思います。

モハメド・アリとの異種格闘技戦の実現、イラク人質解放、北朝鮮外交…

花が咲かないことを厭わず、全力で生き抜いたんです。。。

 

 

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