『常識とは18歳までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない』
ーアルベルト・アインシュタインー
最近、ニュースとか、ネット情報とかみていて考えることがあるんです。
結構、まじめに思ってるんです。
「常識」ってなんなんだろう?
今回のCOVID-19問題を見ていてずっと考えていました。
この問題は大まかに見て2つの意見に分かれていると思います。
まずひとつは、
COVID-19のまん延を防ぐためには、感染源を徹底的につぶすべき。
このウイルスが人を媒介することにより伝播する事を鑑みれば、ひとの動きを制限する事で拡大の抑制につながるという考えです。
この考えは非常にシンプルでわかりやすい話だと思います。
基本的には、自分も医療関係者ではあるので、こちらよりの考えではあると思います。
極端な話、ウイルスに接触する機会を限りなく0に近づけることが出来れば、収束に向かうはずです。
本当にこれを完璧に実行できるのであれば、現状一番の最善策であろうと思います。
他方、
ひとの動きを制限する事により、経済が疲弊し、結果的に破綻をきたすのではないかという話です。
これに関しては、もうみなさんご存知の通り現実になっています。
自分が働いている小さい規模の会社なんか、その波をもろにかぶってしまっています。
結構な傷の深さです。何か特効薬があればいいんでしょうけど。
この話って、結局どちらも正しいと思うんですよ。
僕は、別に逃げてるわけじゃなくて、本当にどちらの意見も正しいと思ってます。
どちらの主張も理解できますからね。
このCOVD-19の問題でいうと、双方にとって自分の主張ことが正しく、その考えこそが「常識」だと思ってるんです。
相反する二つの常識・・・
ひとの移動を制限するべきと訴えるひとにとっては、経済を回せって話は非常識だし。。。
経済を回すべきと訴えるひとにとっては、ひとの移動を制限するべきって話は非常識。。。
ここで自分が言いたいのは、常識って必ずしもひとつじゃないってことです。
十人いたら十通りの常識って存在するんです。
そんなこと考えていたら、、
常識って必要な気もするし、不必要な気もしてます。
おそらく、常識って各個人にとって必要でもあり、不必要でもあるんです。
それこそ、そのような考えが必要であると、僕は思います。
「常識」って非常に便利な言葉ですよね。
この言葉を使っただけで、相手の行動を抑制する事が出来ます。
極々簡単にね。
まさに「魔法のフレーズ」です。
毎日の生活の中で、一日一回くらいは聞くんじゃないでしょうか?
常識って。。。
それって、当たり前だよ!
それって、普通じゃん!
この、常識っていう言葉の意味ってものは、、、
我々自分自身が、子供のころからの家庭環境、生活様式、親の考えなどによって形成された部分が大きいと思います。
また、一般社会に身を置くようになってからは、先人の多くが共通に持っている知識、文化などにも影響を受けたものです。
例えば、上司より先に帰るな!とか。
お茶くみ、コピー取りは女子社員の仕事とか…
最近は、そのようなことって随分少なくなってきたとは思いますけど。。。
なんか常識って・・・
多数の人がそう思っていることが、正義だっていうか・・・
そういったことが無条件で、普通とか常識になっていて・・・
なんか、違和感満載なんです。
巷の常識、普通ってものに過度にとらわれると…身動き取れなくなるんじゃね?
って思ってます。ぼくはね。
みなさんはどう思いますか?
何にも違和感って感じませんか?
一番最初に僕が書いた通り、COVD-19の問題も二つの常識が存在するんです。
ふたつの「正義」が存在するんです。
常識の反対語は、結局もうひとつの常識なんです。
正義の反対語も、もう一方の正義なんです。
そう考えたら、常識とか正義とかって、必ずしもしっかりしたものではなく、綿あめのように簡単に溶けてなくなるものかもしれませんね。
綿あめのように儚い常識に、我々は何故そんな常識にこだわるんでしょうか?
全員が全員、同じ常識を持ってるわけでもないし、特に普遍的なものでもないんです。
なんでこだわるんでしょうね?
よっぽど他人の目が気になってるんだと思います。
周りからエキセントリックなひとって思われたくないんです。
周りと違う意見を言うことに、慣れていないんです。
他人と異なる主張をすることに、恐怖を覚えてるんです。
でも、ちょっと考えてください。
この、まわりと合わせようっていう考え方って実行するのは簡単ですけど、これって人類の発展を阻害しているのかもしれないんです。
いや、発展を阻害しているのは明らかです。
何故かって、、
一般的に言われる常識の範疇の中での考えって、どこまで行っても常識の範疇のカヤの外に出ることはできないんです。
常識の外を考えようとしないひとが、常識の外のことを考えるはずがないんです。
人類の文明が発展してきた最大の要因ってなんだと思いますか?
それって、常識を疑ったことです。
常識を疑わなければ、絶対に発展はあり得ません。
それが当然って話になれば、それ以上は考えないから。。
現状の常識を疑ったからこそ、新たな発見が生まれているんです。
常識にとらわれないからこそ、新たな考え、技術が生まれるんです。
なにも考えなかったら、なにも生まれないんです。
常識を疑う力が絶対に必要です。
今の世の中COVID-19問題だけではなく、それ以外でも不透明なことが多く山積しています。
不透明なことが多く存在するっていうことは、見通しがつかないことが数多く存在するということです。
今までの既成概念が通用しない世の中に、いやおうなしに飲み込まれてるってこと。
あえて言いますが、我々を勝ち組と負け組に分けた場合・・・
勝ち組と思いますか?
負け組だと思いますか?
訊くまでもないと思います。
我々の大多数が、負け組です。
もちろん、なにをもって勝ちか、まけかと判断するかによって答えは変わりますが・・・
少なくとも、裕福度で測ったときに、、、我々は負け組です。
逆に言うと、勝ち組はごく少数なんです。
我々と、勝ち組の差ってなんだと思いますか?
それは、常識のこだわるか?こだわらないか?
たったそれだけなんです。
我々は常識にこだわるから、踏み出せない。
常識に縛られるから、乗り越えられない。
たった一歩、踏み出すだけで視界が開けるのに・・・
その最初の一歩だけ、目をつむって勢い付けて踏み出しさえすればいいのに・・・
成功者って、いとも簡単に常識の壁を乗り越えてきてるんです。
失敗する事に恐怖を感じていないんです。
チャレンジしないことの方に、遥かに恐怖を覚えているんです。
チャレンジしない事には、なにごとも進みません。
1ミリたりとも前進する事はないんです、絶対に。
大多数が負け組であるとするなら、その大多数の思考では絶対に成功しないんですよ。
もっと言わせてもらうなら、なにも行動を起こさないことは決して現状維持ではありませんから。
なにも、変わらないことが現状維持では絶対にありません。
何故かって、考えたらわかる事です。
人生にはタイムリミットがあるから。。
我々は生まれた瞬間から、死へのカウントダウンが始まってます。
人生の終焉がどこにあるかなんて、誰にも分りません。
明日かもしれないし、もしかしたら今日かもしれない。
目標に到達することなく、人生の終焉を迎えるかもしれないんです。
成功者になるという、目標があるとするなら・・・
躊躇している時間がもったいないんです。
この瞬間にも…残された時間は減っていってしまってるんです。
本当に成功者ってごく一部のひとなんです。
殆どの人が、負けてしまうのが現実です。
大多数と同じ考えだと、負け組からの脱却は不可能なんです。
永久に。。。
iPhone、iPad、そしてMacintoshを生み出したApple創業者である、スティーブ・ジョブズの言葉があります。
『常識?あ~凡人が仲良く生きるためのルールか!』
いかに「常識」にとらわれることの、「危うさ」がご理解いただけるのではないかと思います。
常識にこだわっていたら、絶対に常識という「枠の中」から飛び出すことは「不可能」です。
常識という枠を飛び越えないことには、絶対に進歩しません。
あなたは勝ち組になりたいと思いませんか?
現状を打破したいと思いませんか?
今までとは違う景色を眺めてみたいと思いませんか?
もし、あなたが強くそれを望むなら・・・
アインシュタイン、スティーブ・ジョブスが言っていることが理解できるはずです。
常識の殻を打ち破る必要が不可欠だって。
今までの既成概念を、常識を打ち破る力が必要だって。
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